公園長ブログ 『命Ⅱ マーラの思い出』

旧飼育ブログ

命、それは、始まりも終わりも人の心を揺さぶるものです。

 

 

8月13日は、アジアゾウのマーラの命日です。

みなさんは、マーラという寝たきりの子ゾウがいたことを、覚えていますか。

マーラは私がこの動物園に来て、初めて思いをかわした動物でした。

1歳少しで前足を骨折し、それ以来死ぬまで寝たきりだった子ゾウ、

私が出会ったときには3歳、もうすでに、足の筋肉も衰えて、リハビリもかなり行き詰っていました。

 

 

鉄枠と木の板で仕切られた3m四方の空間、マーラにとってはそれが生活の全てで、鼻の届く距離が自分の想いを伝えることができる全てでした。褥瘡予防の空気マットに横たわったマーラは、私が近づくと、鼻を伸ばし、私の体に息を吹きかけながら、新しい仲間のにおいをかぎ取っていました。私の頬をなでるマーラの鼻にふっと息を吹きかけてやると、一瞬、びくっと体を固くしたようでしたが、目は好奇心いっぱいで、新しいおもちゃを見つけた子供のように、いっぱいのわくわく感が伝わってきたものです。そして、マーラの優しく伸びる鼻にそっとふれてあげると、いつもいつもあの子の想いが私の心にしみ込んでくるようなそんな気がしました。

 

当時は、24時間飼育をしており、職員が交代で夜間もマーラのそばに張り付いていました。また、リハビリは鉄枠に強大なビニールシートをかぶせお湯を張った簡易プールで遊ばせるといったすさまじいもので、その準備と撤去には莫大な数の職員が必要で、みんなは一様に疲労していました。その疲労はたんなる体の疲労だけではなく、先の見えない、いつ終わるかわからない作業の繰り返しと、一進一退のマーラの回復状態によるものも大きかったと思います。

 

 

世界的に見て、骨折したアジアゾウの子供の多くは寝たきりになり、やがて5年ほどすると内臓疾患で死亡するといわれていました。焦る想いと進まぬ治療、この混沌をどうしたらいいのか。それは、この動物園の責任者となった私に課せられた重い重い課題でした。

 

 

 

マーラはオスゾウのダーナと上野動物園からブリーディングローンでやってきたアーシャーとの間に生まれたメスゾウです。(ブリーディングローンは、動物園や水族館で動物を貸し借りして種の保存を目指すシステムです。飼育動物はその園の所有物ではなく地球のもの、動物園や水族館が協力して種の保存を目指します。)お母さんのアーシャーが子育てを拒否したために、人工哺育が試みられました。そして栄養上の問題(カロリー過多と骨形成不足)と運動不足により、マーラは一年後骨折、寝たきりとなりました。

 

24時間飼育はもう2年も続いていました。寝たきりのマーラを褥瘡から守るため、さまざまな工夫と努力がなされ、他の動物園では、褥瘡がひどくなって、本当につらい状況になっていた事例もありましたが、マーラの肌は張りがあって、とてもきれいな状態が保たれていました。

 

しかし、もう、時間がなかったのです。体重は少しずつですが増え続けています。寝たきりゾウを死に至しめる内臓疾患は、自重(じじゅう)(自分自身の重さ)が内臓を圧迫することから引き起こされると考えられていました。この子の命は2年3年先ではなく、今を何とかしなければ、未来はない。それが現実でした。

 

そのためには、すぐにも本格的なリハビリを始めることでした。新たなリハビリ計画を進める前に、まず24時間飼育の見直しが必要でした。夜間の当番の仕事はマーラに餌を与えることと、排尿排便の処理、異常がないかの監視です。職員の疲労を軽減し、リハビリに集中させる時間を確保するため、毎週1時間ずつ、夜間当番の時間を短縮していきました。

 

一部には根強い反対意見がありましたが、何かあれば直ぐに元の体制に戻すと約束しての試みでした。餌箱を作り、マーラが自分で餌を摂取できるようにしました。排便がマーラの肌にどう影響するのか注意深く見守り、人がいないと眠れないというマーラが一人でどうなるのか・・・ビデオチェックも続けました。

 

やがて、マーラが一人でもいや逆に一人の時のほうがしっかり睡眠をとり、餌を食べ、糞尿も朝の洗浄で清潔に保てることがわかりました。朝、マーラにおはようと挨拶し、夕方、おやすみと別れを告げる。ごく普通の日々がやってきました。

 

次はいよいよリハビリです。ずいぶん前にレントゲンで骨は十分回復しているという診断がありました。動物のリハビリの専門家からも、お招きしたタイの獣医師からも、足に負荷をかけるリハビリの必要性を説かれていました。

 

しかし、スタッフは怖かったのです。負荷をかけるリハビリにより、マーラが再び骨折することを。再び骨折することは、今の状態を維持できなくなることで、その先にはつらい日々が予感されていました。スタッフは本当に献身的にマーラの世話を続けていました。彼らの努力が、マーラの命をつないできたのは間違いのないことでした。だから、夜間飼育の解消にくらべるとスタッフの抵抗は大きなものがありました。しかし、この子に2年、3年先はないことも事実で、当然、スタッフもそれはわかっていたのです。でも、母親の臆病さで、リスクに立ち向かうことができないでいたのです。私たちは今強い母親にならなければいけませんでした。この場所で生まれた命、私たちに託されたこの命、マーラをきっと幸せにしてみせる。そういった強い意志が必要でした。

 

 

 

春、新たなリハビリはプールの水面を下げることと、後ろ足の膝の可動域を広げるマッサージで始まりました。プールの水位を半分にして、足に少しずつ負担をかけていきます。すると、マーラは前足を踏ん張って、体を起こそうとしました。前足には希望がみえていました。問題は後ろ足で、曲がったまま、伸ばすことができないので、負荷をかけることができません。骨折をした前足は大丈夫なのに、どこも悪くなかった後ろ足が固まっていたのです。プールの中で、後ろ足に負荷をかけるよう、スタッフが促します。でもマーラにはそれが充分伝わりません。後ろ足のサポーターを作ったり、曲がった足を広げるように牽引したりしながら、少しずつ負荷をかけていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、時間は過ぎ、いつの間にか季節は夏になっていました。リハビリの合間には、マーラのところによく遊びに行きました。よく動く鼻とじゃれていると、私の顔に優しく息を吹きかけてくれたマーラ、小さく声をあげて甘えてきたマーラ、サツマイモが大好きだった、そして、小さな命は必死に生きようとしていました。

 

 

 

しかし、そういった日々も、やがて終わりを迎えます。

ある日、強い日差しの中で、突然、私の携帯電話が鳴り響きました。電話の向こうで、緊張した声がこう言いました。「マーラが死にました。」

あまりにも、突然の知らせに夢と現実の境がわからなくなった、あの日。

仮設プールで、いつもと同じようにリハビリをしていたマーラは、突然動きを止め、水の中に浮き上がったそうです。急いで水を抜き救命処置をしたそうですが、すでにこときれていました。

死因は腸ねん転でした。恐れていた内臓疾患でした。

 

 

 

 

 

こうして、のんほいパークと子ゾウのマーラとの5年と11か月が終わりました。

スタッフだけではなく、たくさん人の応援と、たくさんの人の想いが、こんなにも注がれた命を私は知りません。

また、彼女の生きた時代は、のんほいパークに多くの感動と命の尊さを残した時代でもありました。

マーラは決して特別な命ではありません。

でも、みんなと同じ、かけがえのない大切な命でした。

のんほいパークがマーラと過ごした日々は、今でも、私たちの記憶に深く刻まれています。

そして、いまでも、私たちは、この動物園でかけがえなない命と向き合っています。

 

 

 

 

 

 

ゾウのマーラ

 

彼女が大地を踏みしめたのは ほんの少し

その生きた多くの時間は 四方をコンクリートに囲まれ

ときおり 見上げる空は 青いそれではなく

蛍光灯の黄色い光りだった

 

どこにでもある 一つの命

彼女が骨折したとき

多くの国なら その命は終わっていただろう

ここで生まれたからこそ

その命はつながっていた

 

何が正しく

どうすればよかったのか

 

彼女の生きた5年が

つらい日々だったのか

懸命に生きた輝きだったのか

 

物語は決して

美しいおとぎ話ではなく

そこには

苦悩と挫折と重い現実がひしめきあった時代があった

 

そして

かすかな希望でさえ

前に進む糧とする厳しい状況の中で

心から彼女を励まし

心から彼女の毎日に寄り添った

たくさんの想いがあった

 

マーラ

君は いま どうしてる

天国のジャングルでは

大地をしっかり踏みしめて

あの青い空を見上げているだろうか

 

ぼくらは いまでも

この動物園のかたすみで

 

あのときと同じように

かけがえのない命と向き合っている